HOMEDATA『雪の味』書簡にみる俳人地域一覧≫美濃他

      安田以哉坊    

  安田以哉坊: 1715-1780 江戸時代中期の俳人 <やすだ いさいぼう>
 聖徳(しょうとく)5年生まれ。蕉門の俳系美濃派の五竹坊の門人。師と確執を生じて破門されたという。以後美濃派は以哉派と、五竹坊の跡をついだ再和坊の再和派とに分裂した。安永9年8月29日死去。66歳。美濃(岐阜県)出身。通称は忠兵衛。別号に二狂、雪炊庵、無事宿。編著に「夏の山」

平井冬秀:
 1727-1783 江戸時代中期の俳人 <ひらい とうしゅう>
 享保12年、美濃加治田生まれ。通称、甚兵衛。字、見爾。号、竹珂園(ちっかえん)・欣松斎。和歌を松浦寛舟・有栖川宮職仁親王らに学ぶ一方、美濃派俳人として活躍しており、宝暦5年(1755)頃より地元加治田の歳旦帖を編纂している。嗣子公寿により冬秀追悼句集『別れ霜』が編纂された。

西澤里秋: ?-? 江戸中期の俳人 <にしざわ りしゅう>
 愛知川町の人。通称を庄左衛門。性文雅を好み殊に俳諧に長ず。同町に俳友芦水あり、共に宿駅の事に多忙なる人なりしも、同気相投ずる二人は寛政中、町畔に一亭を建て蝸牛庵と号し、少閑此処に会して俳事をp楽しむ。

川崎涼花: ?-1779 江戸時代中期の俳人 <かわさき りょうか>
 名は市郎右衛門。綿・織物・の豪商川崎家の中興初代といわれ、家運を盛り上げた。美濃派の俳人田中五竹坊と交わり、当地方俳人の先駆者である。安政7年7月没。

川崎荷笠: ?-1795 江戸中期の俳人 <かわさき かりつ>
 涼花の嗣子。菫胤・次郎右衛門。美濃派の俳人安田以哉坊と意気投合し、自邸「閑涼亭」に迎えて、多くの強度俳人がその教えを受けた。小出俳壇の宗匠であり、『月の首途(かどで)』などの句集を出版。寛政7年没。

巴笑: 生没年不詳 江戸中期の俳人 <はしょう>
 木曽福島の人。美濃派の俳人。明和3年(1766)芭蕉の句碑を建立(也有筆)。
 安永9年(1780)3月14日、蝶夢は木曽路を経て江戸へ旅をする途中、巴笑を訪れている。


東夕・知名: 生没年不詳 江戸中期の俳人 <とうせき・ちめい>
 私立米沢図書館蔵『伊勢のみやげ』(巣阜坊著)に〈巣阜坊が伊勢参宮を行った際、見送りの際に俳友が贈った俳句や、旅先で俳人から贈られた俳句をまとめ刊行した俳諧書。見送りの句には、紅二・唇秋・東夕といった米沢俳人の名が見られる。〉とある。また知名の名もみられる。